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藤原楚水文庫

藤原楚水文庫は藤原楚水氏から寄贈を受けた書の資料を中心に構成されています。

藤原楚水文庫目録

藤原楚水― 明治13(1880)年12月17日~平成2(1990)年3月6日 ―

大分県豊後高田市生まれ。本名喜一。楚水は雅号。関西大学、明治大学で法律・経済学を学ぶ。

明治37(1904)年、実業之日本社に入社。日露戦争中、征露戦報に執筆。終戦後は実業之日本記者として働く。同社の編集長、理事を務め、昭和3(1928)年7月、49歳で退社。

退社後、昭和4(1929)年の『支那金石書談』執筆出版を契機に、全く別方面の東洋美術史や中国書道史に関する執筆に力を注いだ。戦後は駒沢大学、横浜国立大学、東京学芸大学等で東洋美術史、中国書道史の講座を担当した。

大正元(1912)年頃、「田越村」だった頃から逗子に住み、亡くなるまでの約80年間、逗子で暮らした。109歳で亡くなった平成2(1990)年の時点で、男性長寿日本一だった。

昭和48(1973)年、逗子葉山の変遷をつづった『炉辺談話藻塩草』を発表。書や漢詩に関する著書が多数ある。

藤原楚水 年譜

    年齢(歳)  
明治 13年(1880)   12月17日大分県西国東群呉崎村(現、豊後高田市)に生まれる。
25年(1892) 11~12 小学校卒業。
28年(1895) 14~15 大分県呉崎小学校教師となる。
30年(1897) 16~17 村の役場書記となる。
31年(1898) 17~18 9月上阪し、関西法律学校(現、関西大学)に入学。
32年(1899) 18~19 徴兵適齢検査のため帰郷、身体虚弱にて不合格。
33年(1900) 19~20 4月、司法書記官試験に及第。
34年(1901) 20~21 明治法律学校に転校、7月明治法律学校(明治大学)を卒業。
35年(1902) 21~22 磯部弥一郎国民英学会入学。
36年(1903) 22~23 斉藤秀三郎正則英語学校入学。
37年(1904) 23~24 2月、実業之日本社に入社し『政露戦報』誌の選集に従事。
38年(1905) 24~25 日露戦争終結に依り『実業之日本』誌の編集に転じる。
昭和 3年(1928) 47~48 実業之日本社を退社。
7年(1932) 51~52 三省堂出版部顧問として入社。
20年(1945) 64~65 終戦後は著述を主とする傍ら、駒沢大学、東京学芸大学、横浜国立大学において東洋美術史、中国書道史を講義。
平成 2年(1990) 109 3月6日、逗子市池子「逗子ホーム・せせらぎ」にて老衰のため死去。